スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『猫丸先輩の推測』

■『猫丸先輩の推測』

あとがきに猫丸先輩と作者の倉知淳が似ているなんて書いてあるもんだから、ネットでつい探してしまいました。ん…?似てない。私が思い描く猫丸先輩と似てないよ。

猫丸先輩は、人なつこくて、それが図々しい時もあるのだけれど、でも憎めない人。頭の回転は勿論えらく早い。事件が起こると、あっと言う間にその原因を「推測」してしまう。その推測が正しいか正しくないかではなく、事件に巻き込まれてしまう人がその推測に納得するかしないかなのである。読んでいる読者(私)としては、何でそれで納得しちゃうのか分からないこともあるけれど、いいんだ、それで、猫丸先輩だから。

倉知淳は『壷中の天』同様に、日常的に我々の傍にいそうな人が登場する。そして、場面も見慣れた風景が多い。読み手は、自分の周りにいる人を適当に組み合わせて猫丸先輩を作り出し、自分に馴染みある風景を適当に組み合わせて現場を作り出せるから、倉知作品は生き生きとしてくるのだろう。倉知作品は、残念ながらゼロ(またゼロに近い状態)から想像する楽しみを与えてはくれない。けれども、友人が登場する夢を見ているかのような、楽しいひとときを約束してくれる本である。

2005年10月9日





スポンサーサイト

君死にたまふことなかれ

■君死にたまふことなかれ

君死にたまふことなかれ

あゝおとうとよ、君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ

あゝおとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も
母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや
十月も添はで 別れたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ



父が病床で、意識が混沌としながらも暗唱をした詩がこれである。小学生の時、自分の小遣いで初めて買った文庫本は、父が選んでくれた『一握の砂・悲しき玩具』であった。詩を愛する人だったのだ。幼少時代の不遇を心の奥底に閉じ込めて、孤独に生きる人であった。風のような人だった。


君死にたまふことなかれ

故なき死に向かおうとする父に何度そう呼びかけたことか。君死にたまふことなかれ!

父も母も何とも数奇な人生を歩んで来たことか。私は何と恵まれた人生を安穏と送ってきてしまったことか。これから私はどうやって生きていけばよいのだろうか。人生の羅針盤であるあなたを失ってもうすぐ10年が経とうとしている今になって、荒れ狂う大海原に投げ出された自分の無力を嘆いている。


ーこれは、恋人や夫ではなくて、弟への詩なんだよ。

自ら命を絶った弟への父の思いが込められた詩。

君死にたまふことなかれ。


2005年10月7日





『ロマネ・コンティ・1935年』



食べ物が我々を作る。食べることが生命の活力を生み出す。その当然とも言えることを、文字だけで開高健は伝えてくれるのである。行く先々で胃袋を満たしてくれる食べ物や酒を、匂いと熱気が伝わらんばかりに描き出してくれる。伊丹十三のエッセイは、飽くまでも軽く、読む人間を意識しているからこそ、時には読者を突き放し、時には読者に手を差し伸べていた。あとがきに、開高健は読者に高い水準を要求するとあったが、そうではなくて、彼は読者を拒絶こそしないが、意識もしないかのように、書いたのではないか。自分の五感が感じ取ったことを、記憶の糸を辿りながら書いていく。それが、読者の五感と共鳴すればそれでよし。しなければ、それもよし。

昭和40年前後の日本は今のアジアのようなものだったのだろうか。人の絡み付くような視線、淀んだ街の空気、じっとりした人の肌。そこから、美味しいものと不味いもの、やる気とやる気のなさ、熱気と冷気、夢中と無関心と言った相反するものが生まれてきた。そして、進化は差異から生じるものなのだ。人と触れ合うことを拒むこの現代の日本から、一体何が生み出されてくるのだろうか。

最初の3編(「玉、砕ける」「飽満の種子」「貝塚をつくる」)は、とりわけ素晴らしい作品であった。旅のお供に是非連れていって欲しい1冊である。

【2005年10月3日記】

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

記事を整理

昔マイぷれすというサイトに、読書記録をつけていました。しかし、ある時そのサイトは閉鎖されてしまい、あわてて自分の記事を保存しました。画像まではきちんと保存できなかったのが残念ですが、とりあえず文字は残りました。

途中、ミラーサイトという形で、このブログをマイぷれすと並行して作成してありましたが、ところどころ欠けているところもあり、ということで随分長い間放置してきたのですが、少しずつ昔の記事を復活させようと考えています。

いつの記事だったのかわかるように、記事の最後に年月をつけておきます。


最近は読んでは忘れるを繰り返し、記録することもなくなっていましたが、これを機に、また新しい読書録も加えていければと思っています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


ちゃみ拝






テーマ : 今日のつぶやき
ジャンル : ブログ

『トーマの心臓』

森博嗣が萩尾望都原作のこの作品を小説家したらしいという噂を聞いて、久しぶりに萩尾作品を読み直すことにした。

まず萩尾作品全般について触れておくと、一体この人はいつから漫画を書いて(描くというよりも書く、の方が近いように思う)いるのだろうと思うほど昔から書いているのだが、手塚治虫と似ていて、いわゆる「流行」にはとらわれず、普遍的に通底する何かを持って作品がきわめて多く、いつ読んでも古びれず、いつ読んでもハッとさせられる。彼女自身が原作者ではないが、やはり『百億の昼と千億の夜』は傑作中の傑作であろう。

さて、本書に話を戻すと、筋を簡単に言ってしまえばギムナジウムでの少年同士の愛という萩尾作品にはよくあるテーマなのだが、ある青年を愛した少年が、自分の生命とひきかえにその青年の贖罪をするという、きわめて重いテーマを書いた作品なのである。人に対してうしろめたいこともなく、また後悔のない人生を歩んできた人は本当に少ないだろう。主人公ユリスモールは神をも裏切る暗い過去に縛られて、もっと言ってしまえばひきずることもままならないほど重い十字架を背負って生きていた。そんな彼をまるごと愛したトーマは、自らの生命を投げ出して、彼の身代わりに磔となったのだ。しかし、ユリスモールはそのトーマの深い愛を知ることができない程、心に深い傷を負っているのである。

私はいつも書いている通り、いわゆる「恋愛物」は好きではない。しかし、この作品を単に少年愛と受け取って、いつも通りにどうでもいいと捨ててしまうことは不可能である。なぜならば、この「愛」は、例えば子に対する親の愛、あるいは神の愛、人類愛だからだ。うつろいやすく、脆いものではなく、永遠に変わらぬ愛なのである。生まれてこのかた自分の犯した数々の罪が、ただ自分の心に重くのしかかるだけで、その重みで自ら動けないようにしてしまっているのに、ましてや人の贖罪をするというのはどれほどの広い心があるのだろうか。

多分、森博嗣を読むことはないだろう。しかし、もし森博嗣を読もうと思う方がいらっしゃるならば、必ずこの萩尾作品を読むようにオススメしたい。おそらく、森博嗣作品の方は記憶の彼方に行ってしまうことであろうが。


[2009年11月]

テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

広島平和宣言

 1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった」。それは、当時30歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

 そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ」。この当時24歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など、正に生き地獄だったのです。

 当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました」。広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。

 深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

 広島市はこの夏、平均年齢が78を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

 世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。

 平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。そして、再来年の春には、我が国を始め10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアチブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。

 2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曽有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。

 あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

 私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

2012年8月6日

広島市長 松井一実


----------------------

核兵器がどれほど恐ろしいものであるか、世界はおそらく知っている。だから危険な均衡状態のまま世界はここまでやってきた。今最も恐ろしいものは、私たち日本人の愚かさではないだろうか。広島と長崎を経験し、福島で人の住めない場所を作り、世界の海を放射能で汚染しながらも、それでもなお、原発に依存しようとする、生命よりもカネを大事にしようとする日本人の愚かさ。

世界に平和と安全を。


プロフィール

ちゃみ

Author:ちゃみ
ご訪問ありがとうございます。
本の感想と日々思うことをつづっています。
最近年のせいか、少々怒りっぽいです(笑)。

コメント、リンク大歓迎です!!
ゆっくり遊んで行ってくださいね。

[追記]このブログはバックアップ用に作成したミラーサイトです。ただ、うつりの悪い鏡なので、オリジナルを少々改変している場合もあります。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。